当blogは誰がなんといおうと音楽ブログです。


by ina17ina
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音の好き嫌い


このところ最近「稲菜さん、音楽はヒトそれぞれですよ」と
よく上から目線で言われるので
「ああ、そうですね」と答えていますが
言わせていただきます。

音楽には個人的な好みがあうることは否定しませんが
ある人にとっては感動的なmusicであってもある人にはまったく響かないことがある
というようなことは皆様も周知の通り。

確かに音の好みというものは人それぞれであることは否定しません。

しかし個人的な甲乙だけで判断されるべきものだろうか?
一概に好みといっても聴き手それぞれの「レベル」というものがあり、おそらく
その「レベル」に対して無自覚のまま、
単にそのときの判断で吼えているように映らないわけでもないですね。

そしてその「レベル」のmusicを聴き取ることが出来ないとき
そのmusicに「きらい」「ふつう」「よくわからない」
というレッテルを貼るのではないだろうか?

極論を言うなら「自分の都合」にあわせてmusicを聴くのみならず
「いい」「悪い」の判断をする。
それによって「musicは個人的な好み」という
便利な言葉は使われていると思われるようにおもわれます。


音楽には確実にレベルの違いがある
更にいうなれば「聴き手」であるわたし達にもレベルの差は歴然であります。
(ワタシはこのblogを始めて一番実感している面だ)


分り易いところではワタシも多く携わっている「食」の世界

味覚や審美眼、ジャンルについてはヒトそれぞれではあるが
風格、サービス精神といった明らかにレベルがわかる面の好悪は
本当にある一定のレベルに達したとき
ある程度の経験、好悪を度外視した個人のレベルを反映したものであり
一定のレベルに達したときはじめて説得力をもつものになる

そもそもヒトの「好き」 「嫌い」ほどアテにならないものはないといえる。

ワタシから見ると「好み」という都合のいい言葉はまったく個人的な問題
つまりは「理解できない」「きらい」という言葉に置き換えて
自分を正当化しているようにしか思えない。

世の中には理不尽とも思える不幸があまりにも多すぎるが
ブックオフでさそうあきらの神童を買ったら
中身が坂辺周一のレイプだった
なんていうのはその最たる例だろう。
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by ina17ina | 2007-04-04 23:31